温かいお茶でもどうぞ

いやぁ寒かったですねぇ金曜日🥶

曇天霧雨そしてほぼフラット💧

なのにー

レンタルボードで来てくれた😍おふたり

今季初めてゴムフル(風や水を通さないスキン生地の長袖長ズボンのウェットスーツ)貸し出しました

&味噌汁サービス

ここんとこ海から上がったお客さんに温かいお茶を出すよーになってます

半月前までは冷たい麦茶だったのに

 

この前 私(マサエ)より一回り若い常連さんと話してたら

「高校生の時10回位サーフィンをやった事があって

辻堂にあるパン屋さんに友達がサーフボードを置いてたから

電車に乗ってパン屋さんで着替えて海まで行って・・・

ショートボードしかない時代だったから

途中でくじけて続かなかった」と35年も昔の話

そこって😲

サンドーレ😲

辻堂駅と正面駐車場の間にあって

面倒見の良いオジサンと優しい奥さんで

金も取らずにガキどもの板置いてやってた

サンドーレ

ショーウィンドウにサンドイッチがたくさん並んでて

カツサンドは薄い肉が何層かになって揚げてあって

フィッシュサンドは真ん中にちっちゃなパセリ

フルーツサンドにはミカンの缶詰が入ってて

辻堂のサンドーレ

 

フツーのチェーン店のパン屋さん

辻堂のサンドーレ

私にとっては特別な特別な場所

今サーフィンをまだやれてるのは

サーフィンを辞めなかったのは

 

真冬も

波のない日も

オンショアでグチャグチャになっても

1本も波に乗れなくても

波が怖くても突っ込めたのも

パーリングの雨嵐でも

独りで海に通えたのは

あの店があったからかも知れない

 

波乗りの帰りに必ずアンドーナッツ2個とサンドイッチをひとつ

気のいいオジサンと一言二言

「今日は波なかっただろう」

「オンショア強くて大変だったか」

「寒かったろぉ」

 

若さ以外何もなかった

お金もなかった

高校出て働いて日曜しか休みがなかった

サーフショップは敷居が高かった

買い物できる客になれない

中古の板を買うのが精いっぱい

Tシャツさえ買う金があったらガソリン代に当てたい

家を出て車に板積んで

駐車場や路上で着替えて

ひとりで波乗りするサーファーは孤独

誰とも一言も話さない

ひたすらに

ひたむきにサーフィンするだけ

今の時代のようにスクールなんてない

見よう見真似

その板がレベルに合ってるかもわからない

ケータイもネットもない時代

波は行ってみないとわからない

 

ヘタクソだった

全然波に乗れなかった

沖に出るだけで終わる日が何日もあった

初めてスープ(白い泡状の崩れた波)で立つのに2か月かかった

あの頃の私が持ってたのはクソ度胸と根性だけ

波に沿って横に滑れるようになるのに2~3年かかった

ドルフィンスルーは全くできなかった

(今にして思えばできねー板だったが・・・)

ほとんど波に巻かれに行ってたよーなもんだった

 

何年もかかってちょっとボトムターンができるよーになった程度で

いっぱしのサーファー気取りだった

オジサン「いー波だったろ」

マサエ「今日はサイコー👌」

って3~4本しか乗ってなかったんだろうなぁ

 

ただの常連客

たいして金もないからたいして買えない

車検の時に板を置かせてもらってバイクで行ったこともあった

盆暮れに手土産渡せるほど大人じゃなかった

心の拠り所になってる事に気付きもしなかった

 

結婚して湘南に住むようになってからも

年に1~2度パンを買いに行ってた

ある日夫と寄ったら

店のシャッターが閉まってて

ご主人が亡くなられて閉店した張り紙があった

オジサンはまだ50代だった

 

泣いた

ワンワン泣いた

人目もはばからず大泣きした

涙が止まらなかった

初めて気づいた

青春の1ページだった事に

 

40数年も前のことがいまだに心に浮かぶ

懐かしくて

切なくて

私のサーフィンのヘタクソで生意気な時代はサンドーレと共にある

 

常連さんと「35年前にサンドーレで会ってたかもしれないね」

話してて

不覚にも涙があふれ・・・

 

返せない恩は誰かに渡せればいいかな

味噌汁やお茶が皆さんの拠り所になれてたらいいな

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